その1 平賀源内(雅号 鳩渓)
平賀源内は享保13年(1728年)讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)に生まれる。 そして亡くなる安永8年(1780年)まで、いわば江戸時代中期に、各方面、分野で活躍した 偉人、天才であった。 本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作家、浄瑠璃作家、俳人、洋画家(蘭画家)、 発明家として極めて多彩な才能をいかんなく発揮した時代の先駆者、偉人であった。 画家としての源内は明和7年(1769年)ごろ2回目の長崎遊学によってオランダの洋風画法を学んで いる。 その時に描いた作品が神戸市博物館に所蔵されている。 「西洋婦人図」である。 これが日本における最初の油絵と思われる。 写実的な西洋画に強く引かれた源内は自ら実技を身に付けてこの絵を描いた。 その2年後、秋田の鉱山指導に招かれて、角館の宿で小野田直武に西洋画の陰影法、遠近法を 教えている。 それがきっかけで小野田直武は江戸に立ち、解体新書の挿絵を描き、西洋画法を身に付けて秋田に 蘭画が広まる。 秋田蘭画ー司馬紅漢の銅版画、小野田直武の油絵と続く日本西洋画の流れの源流に源内がいたと 推察される。 源内の才能は多岐にわたり、洋画だけでなく、 発明家としての源内ーー日本初の万歩計、磁針計、水準器、発電機(エレキテル)などの発明 文筆家としての源内ーー戯作家、浄瑠璃作家 陶芸家としての源内ーー源内焼き、陶芸指導者 本草家としての源内ーー今の薬学、博物学のことで、日本初の物産展の開催 起業家としての源内ーー製陶事業、羅紗の製造 鉱山家としての源内ーー金、銀、銅、磁石、などの採掘