14)日本の洋画黎明期の画家たち その16 岡田三郎助

その16 岡田三郎助

岡田三郎助は1869年佐賀藩士の子として佐賀県佐賀市で生まれました。1939年没。 岡田は幼少のころ、父とともに上京、旧藩主の邸内で暮らします。 彼はその時に、同じ佐賀県出身の外交官で洋画家でもある百武兼行の油絵を見る機会にめぐまれました。 百武の作品に影響を受けた彼は画家を志すようになりました。 画塾で学んだのちの1894年(明治27年)、同郷の画家久米桂一郎が岡田を黒田清輝に紹介します。 黒田は前年、外光派の技法を身に付けてフランスから帰国したばかり。それまで伝統的な絵画技法しか 知らなかった岡田にとって、黒田たちとの出合いは大きな転機となりました。 1896年(明治29年)岡田は黒田、久米、藤島武二らとともに白馬会を創立。 翌年岡田は文部留学生としてフランス留学に出発。黒田も学んだラファエル、コランの画塾に入り、 勉強を重ねました。 1902年(明治35年)帰国後は藤島とともに東京美術学校の教授として、若い画家たちを指導、 岡田、藤島の教えは、その後の日本洋画のアカデミズムの主流を形成していくのに大きな役割を果たした のです。 岡田の代表作として、つづみを持った日本髪の女性を描いた婦人像がよく知られています。 この作品のイメージは三越呉服店のポスターや切手に使用されています。 もう1つ代表作イタリアの少女はフランス留学中に描かれた作品です。パステルの筆あとに、少女の 肌のやわらかさを表現しようとした画家の努力がうかがえます。