14)日本の洋画黎明期の画家たち その20 青木繁

その20 青木繁

青木繁(1882年ー1911年)は日本の明治期の洋画家である。 明治期日本絵画のロマン主義的傾向を代表する画家であり、代表作「海の幸」は明治期洋画の記念碑的作品 と評されている。若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描きあげた一方で、世間的な成功に恵まれず 放蕩生活の末、満28歳の若さで没した。 短命だったこともあり、残された作品の数は決して多くはない。 青木繁は今の福岡県久留米市に旧有馬藩士である青木廉吾の長男として生まれた。 同じ久留米生まれの洋画家坂本繁二郎とは同年で小学校の同級生でもあり、終生、親友であり、ライバルで あった。 青木は1899年(明治32年)満16歳の時に中学校の学業を放棄して単身上京。画塾不同舎にはいって 主宰者小山正太郎に師事した。 1900年(明治33年)東京美術学校西洋画科選科に入学、黒田清輝から指導を受ける。 1903年(明治36年)に白馬会8回展に出品した神話画稿は白馬会賞を受賞した。 古事記を愛読していた青木の作品には古代神話をモチーフにしたものが多く、題材、画風ともにラファエル 前派などの19世紀イギリス絵画の影響が見られる。 1907年(明治40年)郷里の父の危篤の知らせを聞いた青木は単身帰郷、これが青木と家族との永遠の 別れとなった。郷里の家族とも別れて天草、佐賀など転々とする放浪生活に入った。 1911年(明治44年)入院先の福岡市の病院で死去、満28歳8ヶ月の若さであった。