絵は右脳の世界です

人間の脳には左脳と右脳があります。
私たちが普段使っている記憶はほとんど左脳が担当してます。
文字を文字のまま理解して記憶するのです。
単純な文字の記憶は大量には出来ません。すぐに忘れます。
詰め込み式の受験勉強がそうです。
受験が終わると、またたく間に忘れます。

右脳の記憶はイメージが中心です。いつまでも忘れることなく、
いつまでも覚えていて、いつでも思い出すことができます。
左脳は思考や論理を司る人間的な脳です。

右脳は五感を通じた感覚とか感性とかイメージ思考などを扱っています。
イメージを脳裏に描くことで活性化するのです。
右脳の記憶力がUPすると集中力がつき、表現力が豊かになります。
右脳訓練には多くのトレーニング法があります。
興味のある人はぜひ一読してみてください。

右脳は一度見たものを鮮明に映像として記憶することができます。
そしてその映像を引き出すことができます。
右脳トレーニングにイメージ画法というのがあります。
お手本の絵を20-30秒見つめます。そして目を閉じて、見た絵を
イメージします。目を開いてその絵を白い紙に描きます。
形も色も描きます。

このトレーニングは表現力が豊かになり、イメージによる記憶力が育ちます。
右脳で絵を描くことは、先入観を抜き去り、物事をありのまま観察し、
対象と対話することの楽しさを味わうことができます。

風景を見て観察力を高めよう

絵を描く才能というのは描く力ではなく見る力です。
つまり観察力こそが基本的な才能です。
この才能は訓練すればUPします。
一般の人は学んだことを身につけて、つまり情報とか理論とかを吸収して、
それを糧にして生活している。自分の持っている本来のものを出す努力を
しないのです。

絵を描くとその不自然さがよく分かります。
絵を描くということデッサンをするということ、その力は観察力です。
どれだけ対象を観察できているか、それが如実に絵に表れます。
細部までしっかり見ます。しかし細部だけに捕らわれていると、
全体のバランスが崩れます。忠実に描こうとすれば立体感が失われます。
光や形の整理も必要です。

大人には過去の経験や吸収した情報、思い込みで描こうとします。
クセが出来上がっているのです。

そういう習性、クセは絵を描くことにより発見することができます。
観察力がよくできていないと、しかし絵はうまい、という人はお手本みたいな絵に
なってしまう。つまりおもしろくないのです。

絵を描かなくても観察力はUPできます。
景勝地に行ったとき、すばらしい景観をみて感動します。大体みなさん写真を撮ります。
こんなとき、よく風景を見ましょう。
自分が感動しているのは何か?、形、色、配置、遠近、光、空気感、爽快感、愉快、楽しい、
見たことない経験などなど。色々あるでしょう。
それを見極めましょう。

漠然とした感動は、感動のもとを観察することによりさらに倍加した感動となります。
風景観察の醍醐味を味わうことができます。
これは絵を描く楽しさにつながっていきます。

感受性が豊になります

ハイキングの途中、なにげなく見ていた風景、突然足が止まって、鳥肌が立つような感動を覚えた経験はありませんか。
美術館に行ったとき、ある絵の前に立ったとき、その絵に釘付けになり、食い入るように見て感動した経験はありませんか。
他の人は何事もないように通り過ぎていくのに自分だけが強烈な感動を覚える。
これが人並み以上に感受性が豊かで強い証拠でしょう。
別に風景や絵画だけでなく、コンサートに行って演奏の途中で突然感動して涙が止まらない。講演会などで講師の話の途中で
感余って涙する。これらも感受性の豊かさなんでしょう。
感受性とはアンテナに似ていて感受性の強い人は、なにげなく道を歩いていても様々な生命の息吹に心が反応する性質の
ことです。
他の生命からいただけるエネルギーの量が大きいということです。
綺麗なものを見て、素直に綺麗とお思う心、何気ない日常でも常に新しい刺激を受けられる性質です。
子供が大人より何倍も感受性が鋭いのは、こういうことの吸収力がすごいのです。
では大人になってから感受性って豊かにすること、できるだろうか?
もちろん誰でもできますが、少し意識的に行動する必要があります。
風景や絵画を見たとき、いったん自分の価値観を脇に置きましょう。この価値観が邪魔です。
大人は長い経験により、その人なりの思い込みがあります。これが邪魔なんです。
ちょっとでもいいな、と思った風景や絵画。ちょっと思っただけで通り過ぎないで、しっかり見ましょう。
できれば同じ風景、絵画を3回くらいみましょう。必ず新しい発見があります。感動があります。
ちょっとでも心の琴線に触れるような風景や絵画があったら、このように自分の思いこみは置いといて、純な気持ちで
観察する習慣を付けましょう。新しい発見があると、本当に楽しくなります。
絵を描くとき、この感受性はすごく大事です。

 

自分の個性を見つけましょう

個性を持て、とよく言われますが、それは自分らしくありなさい、という意味で、決して他人と違うこと、目立つこと、
をしなさい。という意味ではありません。
個性を見つけることは結局自分らしさを見つけることです。
個性がない人は1人も居ません。
自分は何をしているときが一番楽しく、どういう状態にあるときが一番安心するのか。背伸びせず、自分に合った生き方を
見つけることが個性を生かすことです。
とは言っても、多忙な日常、世知辛い世の中にあって、自分を見つめなおす、個性を見つける、などのことは、なかなか
難しいのが実状かもしれません。
しかし、ちょっと立ち止まって、人生を振り返り、自分を見つめることは、先に人生を進める上において、大事なポイント
ではないでしょうか。
絵の世界で自分の個性を見つける簡単な方法があります。
誰もがネタにしそうな平凡はテーマ、例えばバラや果物の絵、こんな絵を描いてみる。
但し、人が描いた画集や教則本などは一切見てはいけません。自分勝手に自由に描きましょう。
完成したら、インターネットでも高名な画家の絵でも画集の絵でもいいですから、比べてみてください。
そうすると自分の絵の特徴がよく分かります。
何が違うか。色か形か、構図か雰囲気か、描き方か。
うまいか、下手か、それはどうでもいいのです。自分の傾向がつかめればいいのです。
それが個性です。
できれば、何回も繰り返して描いていきますと、さらに個性が鮮明になってきます。
その個性を自覚しておくことは絵を描くためには、自己主張するためには、すごく大事なことです。
自分は自分しかなれない。なろうとするのではなく、すでになっているのです。
それが個性です。
しかし、それを自分が分かっていない人が多い。
それを見つけること、本当の自分のものですから、つまり自分の素質なんです。
それを有効に使う、生かすにはどうしたらいいか。それを考えるのが次のステージです。

絵の勉強は高い山に登るがごとし

絵を描くことは本当に楽しいことです。
しかし、長く続けていくと、楽しいことばかりではありません。辛いこともいっぱいあります。
もう止めようと思うこともあるでしょう。
それは山に登るのと同じです。最初は体に負担が少ないですから、風景や木々や、あるいは野鳥や花などを見る余裕
がありますから楽しいです。爽快さがあります。
やがて登山道は角度を増し、体にこたえてきます。汗をいっぱいかきます。心肺機能がフル回転して、だんだん辛くなります。
風景なんか見ている余裕はなくなります。辛く辛く厳しい道程に耐えて、ただひたすら耐えて歩きます。
そしてやがて山の頂に至る。あたりを見渡すとまさにそこは絶景、言葉もなく感動します。
自らの足で登った人だけに与えられるごほうびです。疲れや、辛さが一瞬に吹き飛びます。達成感と満足感で感動するのです。
絵の勉強も同じです。勉強することにより、次々と興味が広がり、新しい世界が見えてきます、
最初は好奇心と多少ある絵心で絵を描きはじめる。人よりはうまいと言われて、描いている内にさらに絵を描く力が上昇
します。
そんなときに他の人の絵や美術展などの作品を見て、愕然とします。自分よりうまい人がこの世にいっぱいいることを知って。
それもとてつもなく、自分の技量をはるかに超えた上手い人がいっぱい。
打ちのめさせられます。ここで絵を続けるか、己の下手加減を知って、きっぱり止めるか。上るか下山するかです。
しかし、やっぱり好きだから、と絵を続けます。本格的に勉強します。デッサンから構図や色や技法について基礎から勉強します。
辛い辛い毎日です。モチベーションがどんどん下がってきます。描いた絵は評価されることなく、おもしろくもない作品ばかり
です。
こんなときは1度絵から離れて、一定の期間を置くのもいいでしょう、休憩の時間です。
絵の勉強は客観的に自分の絵を見る力も大事です。
自分らしい個性のある絵は大変重要ですが、ひとりよがりで人から無視されるような絵ではおもしろくありません。
一息ついたら、歯を食いしばって先に進みます。やがて自分の本当の自分の絵が見えてきます、評価の数も増えてきて、
充足感を感じるようになります。そこが最初の頂です。
そこから又新たな挑戦がはじまります。挑戦は果てしなく続きます。

イメージトレーニングの仕方

イメージトレーニングは、ぼんやり瞑想することではありません。
対象を、そして構図を決め、完成した絵を頭の中で思い浮かべる。 その頭の中にイメージした完成した絵に向かって、どのように取り組むか、どういう工程で進めていくかなどをある程度明確にして、そこに向かって効率的に努力していくための手段です。
このモチーフの訴求ポイントを頭の中で形成しておかねばなりません。

ある風景を見て、この構図はおもしろいモチーフだと思って、頭の中で完成した絵を描いてみる。しかしどうも訴求力が弱いと思ったら、その構図は断念するしかありません。 これはいい絵になりそうだ、頑張ろう、というエネルギーが貧弱ですと頓挫するか、完成してもつまらない絵になります。

風景を見て、静物を見て、完成までの道筋をある程度想像することがイメージトレーニングです。上達してくると、効率的なモチーフの選択ができるようになります。

絵を描くときにイメージトレーニングはすごく大事です。
何度も繰り返していく内に、いいモチーフ、絵にならないモチーフの の選択が瞬時にできるようになります。

このイメージトレーニングはスポーツの世界でもよく取り入れられています。目標を決め、そこに到達するにはどのような訓練方法を選択するか、どのような手順で達成するかをあらかじめ頭の中で 想像するのです。そして到達したときの自分を思い浮かべて、その工程でひたすら努力するのです。

感動は年とともに変化する

感動は絵の原点です。
感動がなければ何も進みません。何も生まれません。
感動が絵を描きたい、という体内のエネルギーに灯を点すのです。
小学生や中学生の感動は旺盛です。雪を見て感動し、飛行機に乗って感動し、新しいことや経験でことごとく感動がありました。
しかし年を重ねると三無主義に陥ってしまいます。無気力、無感動、無関心となっていくのです。
現代人は忙しい、廻りが動いていても気がつかない、通り過ぎていっても、忙しいから変化に気づかないのです。
年とともに経験を積んできていますから、世の中のことは大抵のことでは驚かない、感動もない。
では年をとるとみんな三無主義にになってしまうかといいますと、決してそうではありません。
脳科学者の茂木健一郎氏の書で、感動する脳というのがあります。
人間の優れた脳の働きは直感的判断力だといいます。それを磨くためには感動が重要な役割を果たしている。
と主張してます。
まさにその通りです。気に入ったモチーフをパッと見て、これはいけそうだと感じる直感的な判断力は感動があって
はじめて成立するものなのです。
感動することを止めてしまった人は生きてないと同じことです。
しかし感動の形とか内容は年とともに変化します。
若いころは向こうから感動の対象がやってきました。しかし年とともに、自分から探して、出かけていって挑戦
しなくてはなりません。
1歩前に出て、絵や音楽、スポーツ、カラオケでもいいです。
なるべく右脳に働きがけるような事に挑戦しましょう。
それが年相応に感動する機会を増やすことになります。

楽しさをもっと感じるためにグループにはいりましょう

絵を描いていて、苦しい思いをするときがよくあります。
筆が止まって描けなくなって、苦しくなって行き詰まってしまうからです。
パレットの上に絵の具を載せて、さあ描こうと思っても、そこから筆を持ったまま、先に動けないのです。
そんなとき、グループの仲間が手をさしのべてくれるのです。次に進むべきポイントを指摘してくれます。
何気なく気楽に言ってくれます。
客観的に本人が気がついていないことなどを、指摘し合うのです。
又、筆が止まって前に進めなくなったとき、悩んでいるとき、意外と本人の内面的な理由による場合もあります。
絵以外の家庭のこと、仕事のこと、男女関係のこと、など人はとにかく悩みが多い。
絵に集中しようと思っても、そういった雑念が頭をよぎり、絵に専念できない。よくあることです。
そんなときにもグループの仲間から、どうしたの、と声がかかる。雑談でもいい、話をしながら、心を落ち着かせる。
そんな場面はいっぱいあります。
もちろん、誰にも干渉されたくない、誰にも評価されたくない、自分独自の手法で、自由勝手に絵を描きたい。
そういう人もいっぱいいます。それはそれでよい、楽しければ別に問題ありません。
グループに入いれば絵がもっと楽しくなります。
最大の長所は仲間から客観的に自分の絵を見てもらい、自分が気がつかないでいるところを指摘してくれることです。
絵はどうしても独りよがりになり易い。こうしたことをお互いに気楽に指摘し合うことにより、楽しさも倍加します。
最近は絵画教室や絵のグループが大分増えました。新聞に募集広告がよく載っています。
初心者を対象にした教室もかなりあります。
一度試しに教室を覗いてみるのもいいかと思います。

自分の楽しさを見る人にも与えることも大事です

本来、絵は見て楽しむものです。描いた人の感動を人に伝える役目もあります。
絵は自分だけが楽しめればよい、別に人に見てもらえなくてもよい。こういう人もいます。
そういう人は一旦脇に置いておきましょう。
人に自分の作品を見てもらって、楽しんでもらう。自分の感動を伝えるということ。
そのために絵を発表する、展覧会に出品することです。
美術展覧会では多くの人達が観覧に訪れます。
絵を描く人達が自分の絵画力を上げるために勉強のつもりで来ている人もいますが、
ほとんどの人は絵を楽しむためにわざわざ来ています。
鑑賞に来て、何か1点でも、あの絵はよかった、感動した、おもしろかった、ということを
感じてもらえればいいわけです。
小さいグループ展では画家のお互いの研鑽の場であると同時に地域の人達と一緒になって
絵を楽しむ機会となっています。
又、当然訪問者から質問もされますし、批評もされます。それが出品者のレベルアップに
役立っています。見る人の心を和ませ、そして豊かにすることができます。
これがグループ展の醍醐味でしょう。
見る人に楽しんでもらうためには工夫も必要です。
ともすると、自分たちの作品を勝手に並べて、お好きなように見てください。
という展覧会が多いのですが、楽しんでもらう事に少しポイントをおいて、絵の並べ方や高さ、
キャプションの書き方などの会場設営に気を使う。
又、来訪者と画家が気楽に話ができる雰囲気作り、画家が常駐して来訪者に話しかける姿勢。
なども大事な事です。
こうした事で相乗効果で見る人もより楽しく感じてもらえる場所作りとなります。

絵は無から有を生み出す作業です

白いキャンバスに自らの発想に基ずく形を描き込んでいく、それが無から有を生み出す最初の工程です。
イメージトレーニングのとこでも述べましたが、絵は頭の中で描いたもの、それを具体的に絵としてキャンバスに
描き込んでいくのですが、描いたものが自分の頭の中のイメージと合っていれば感激します。
大体はなかなか合いません。繰り返し繰り返し描いていると、だんだん合うようになります。
しかし描いている内に、新しい発想が加わったり、展開が思わぬ方向に変化したり、それが思った以上に効果が
あったりする場合もあります。しかし逆にそれがいたずらして完成に持っていかれず、失敗作となる場合もあります。
画家は見てくれる人達、誰もが笑顔になってくれて、心が癒されました、感動しました、といってくれるのを
期待してます。
この無から有を生み出す作業は簡単ではありません。
生みの苦しみをたっぷり味わうことになります。試行錯誤の連続でしっかり悩んで、苦心惨憺して作品を仕上げて
いくのです。
それが評価され、笑みを浮かべて喜んでいただける作品になれば無常の喜びとなるわけです。
無から有を生み出す作業に携わっている人は絵以外にもたくさんおられます。
芸術家はほとんどそうですし、小説家もデザイナーも建築、土木、工業デザインなどの設計士、デザイナーも
みんなそうです。
その道で表現力に優れたひとがプロとして生きていけます。
いずれにしましても完成するまでの工程は厳しく辛いものです。
完成するとその達成感を感じ、喜びを覚えるのです。
できれば自分らしいオリジナリティーが欲しいです。自分本来のオリジナリティーは何だろうか。
もう一度見直して、自分を見つめ、それを制作に生かしていく。
もしそうした独自性が評価されれば、さらに一段とレベルの高い芸術作品を生み出すことになります。