14)、日本の洋画黎明期の画家たち その2 小野田直武

その2 小野田直武

小野田直武は寛延2年(1750年)に秋田藩角館に生まれた。安永9年(1780年)没。 江戸時代中期の画家であり、秋田藩士。 平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。 安永2年(1773年)鉱山技術の指導のため平賀源内が秋田を訪れ、直武と出会う。 一説には宿の屏風絵に感心した源内が作者である直武を呼んだとか。 源内は直武に西洋画を教えた。日本画にない陰影法、や遠近法を教えた。 同年、直武は江戸の源内のところに寄寓する。 そして、前沢良次、杉田玄白らによる解体新書の翻訳作業が行われ、図版を印刷するために大量の図を 写し取る必要があり、玄白と源内が親友であることから直武がその作業を行うことになった。 解体新書の前に解体約図が発行されていて、直武が担当した解体新書の方が陰影表現に優れていた。 直武は源内のもとで西洋絵画技法を自己のものとし、日本画と西洋画を融合した画風を確立していく。 そして、佐竹曙山や佐竹義躬に対し絵の指導を行い、この3人が中心となった一派が秋田蘭画又は 秋田派となった。 小野田直武の代表作 東叡山不忍池図(秋田県立近代美術館) 児童愛犬図(秋田市立千秋美術館) 唐太宗花鳥山水図(秋田県立近代美術館) 笹に白兎図(秋田市立千秋美術館) などがある。