14)日本の洋画黎明期の画家たち その29 国吉康雄

その29 国吉康雄

国吉康雄(1889年ー1953年)は日本の洋画家で岡山市の生まれです。 1904年に岡山県立工業高校の染料科に入学したが、1906年に退学。カナダ経由でアメリカに渡った。 目的は英語の習得とされている。当時日本人のアメリカ移民が流行していたという時代の背景もある。 17歳で単身渡米した国吉は当初は機関車の洗車やビルの床掃除など、生活で手一杯でした。 ロスの公立学校で教師に勧められてデザイン学校に入学。 その後ニューヨークに渡って本格的に絵を勉強します。 国吉は幸いなことに、アートステユーデンツリーグの学生時代にパトロンと出合い、さまざまな援助を受けます。 1922年、33歳の時、ニューヨークで開いた初個展が批評家たちから高い評価を得て、注目を集めるように なりました。 学生時代に、印象派や後期印象派などの画風を学んでいた国吉の作品に、まるい顔の特徴的な人物画が見られる ようになるのは1920年のこと、キュビズムとアメリカのフォークアートがイメージの源泉です。 国吉の絶頂期は1930年代から40年代にかけてです。カラフルなサーカスの絵を盛んに描いていたのは このころです。 1952年にアメリカでアジア系移民の市民権獲得が可能になりましたが、残念ながら翌年64歳で死去しま した。