14)日本の洋画黎明期の画家たち

その5 高橋由一

高橋由一は文政11年(1828年)の江戸で生まれる。明治27年(1894年)没。 近世にも洋画や洋画風を試みた日本人画家は数多くいたが、由一は本格的な油絵技法を習得し 江戸後末期から明治中頃まで活躍した日本で最初の洋画家と言われている。 わずか2歳で絵筆を取って人面を描き、母親を驚かせたという。 12-3歳頃から藩主堀田家に出入りの狩野洞庭、ついで狩野探玉斎という絵師に狩野派を学ぶ。 弘化4年(1847年)20歳の時に描いた、広尾稲荷神社拝殿天井画墨龍図は狩野派の筆法 で力強い龍を描いており、すでに日本画家として十分な力量を備えていたことが窺える。 嘉永年間、西洋製の石版画に接し、日頃目にする日本や中国の絵とは全く異なる迫真的な描写 に強い衝撃を受ける。 以後、洋画の研究を決意して、生涯その道に進むことを決意している。 本格的に油彩を学ぶことができたのは慶応2年(1866年)、当時横浜に住んでいた イギリス人ワーグマンに師事した時である。 翌年にはパリ万国博覧会に出展している。 明治時代に入り、明治6年(1873年)に画塾天絵舎を創設。 弟子第一号の淡島椿岳、原田直次郎、息子の高橋源吉、日本画の川端玉章、岡本春暉、荒木寛敏 ら、多くの弟子を養成する。 明治12年(1879年)金刀比羅宮で開かれた第2回琴平博覧会に出品し、博覧会終了後 全作品を金刀比羅宮に奉納した。 現在境内の高橋由一館に27点収蔵されている。 代表作は有名な鮭であるが、現在東京藝術大学に収蔵されている。