14)日本の洋画黎明期の画家たち その28 安井曾太郎

その28 安井曾太郎

安井曾太郎(1888年ー1955年)は大正から昭和期にかけての洋画家です。 1888年(明治21年)京都市中京区の木綿問屋の五男として生まれる。 1898年(明治31年)京都市立商業学校に入学するが、1903年に中退して絵の道へ進む。 1904年(明治37年)聖護院洋画研究所(関西美術院)に入る。浅井忠、鹿子木孟朗に師事。同時期に 梅原龍三郎らもここで学んでいた。 1907年(明治40年)渡欧。フランスではアカデミージュリアンに学ぶ。7年間滞在。 1914年(大正3年)帰国 1915年(大正4年)第2回二科展に滞欧作品44点を出品、二科会会員に推挙。 1930年(昭和5年)あたりから安井独自の日本的油彩画の様式が確立し、第2次世界大戦前後を通じて 梅原龍三郎とともに昭和期を代表する洋画家とされる。 1935年(昭和10年)帝国美術院会員となる。そのためもともと文展に対抗して組織され、在野の立場 を貫く二科会の方針から、安井は同会を離れざるをえなかった。 1936年(昭和11年)石井伯亭、有島生馬、山下新太郎らと一水会を結成。安井は生涯、同会の委員を 努めた。戦後の文芸春秋の表紙画を担当した。 1944年(昭和19年)東京美術学校教授。 1952年(昭和27年)文化勲章受賞。