14)日本の洋画黎明期の画家たち その10 川村清雄

その10 川村清雄

川村清雄(嘉永5年(1852年)-昭和9年(1934年))は明治期の洋画家。 明治洋画の先駆者のほとりで、近代日本画が洋画と日本画に分かれていく最中にあって、両者を折衷し、 ヴェネツイアなどで学んだ堅実な油絵技術をもって、日本画的な画題や表現で和風の油絵を描く独特の 画風を示した。 川村清雄は江戸麹町でお庭番を勤める川村元修正の長男として生まれ、7歳のとき、住吉派の絵師住吉内記 に入門。2年後大阪に就き、南画家の田能村直人に教えを受け、江戸に戻ると花鳥画の春木南溟に師事。 文久3年(1863年)英国留学のため画学局で高橋由一、らから西洋画法を学ぶ。 明治元年(1868年)徳川将軍家達の奥詰となる。 明治4年(1871年)勝海舟、大久保一翁らの斡旋により徳川宗家給費生として渡米。 明治6年パリに転じ、アレクサンゴル、カバネルの弟子、オラースドカリアスに学ぶ。 明治9年(1876年)イタリアに移り、ヴェネツイア美術学校に入学。ヴェネツイア派の巨匠たちに学ぶ。 帰国後明治15年(1882年)大蔵省印刷局に彫刻技手として勤務したが1年を待たず辞職。 明治16年勝海舟から徳川家代々の肖像画制作を依頼され、勝の援助により画室心華書房を建設する。 川村が留学中に受けた西洋画教育はフランスのアカデミック美術やヴェネツイア派の系譜を引く壮麗な 装飾画といった極めて正統的なものだった。しかし帰国後は日本的な伝統を重んじ、絹や金箔など日本画 の材料と手法を積極的に取り入れた。 反面川村は、晩年まで明るい部分を厚塗りし、暗部は薄塗りするなど、西洋の伝統的な油絵技法を用いて 描いている。そのため絵の具の固着力は良好で、油絵らしい緻密なマチエールを持っており、保管環境が 劣悪でも作品の損傷の程度は低い。清雄は油はポピーオイルを用い、リンシードは使わない。 筆は油彩のものと面相筆を半々か面相をやや多く使い、ペインティングナイフもよく使った。 白はシルバーホワイトを使い、ジンクホワイトは全く使わなかった。