14)日本の洋画黎明期の画家たち その31 木村荘八

その31木村荘八

木村荘八(1893年ー1958年)は東京府出身の洋画家、版画家です。 牛鍋チェーン店いろはを創立した木村荘平の八男として、東京日本橋のいろは第8支店にて生まれました。 父の死後、浅草のいろはの帳場を担当しながら美術家を志しました。 旧制京華中学校の頃から学校にはほとんど行かず、芝居見物と放蕩に熱中していたという。 旧制中学卒業後、1911年白馬会葵橋洋画研究所に入学。 1912年岸田劉生と知り合い、ヒューザン会の結成に参加。1915年劉生たちと共に草土社を結成。 1922年まで毎回出品。 1918年から二科展や院展洋画部にも出品。院展出品作「二本潅木」が高山樗牛賞受賞。 1922年春陽会創立に客員として参加。1924年春陽会会員。1928年パンの会を発表。 1937年永井荷風の代表作?東綺譚で挿絵を担当、他にも大仏次郎の時代小説など多くの挿絵を描く。 新派の喜多村緑郎を囲み、里見弴、大仏次郎、久保田万太郎等と集まりを持っていた。 1945年頃 加藤潤二の加藤版画研究所から新版画といわれる木版画「猫の銭湯」を発表。 晩年となった戦後は文明開化期からの東京の風俗考証に関する著作東京の風俗、現代風俗帖など多数出版。 多忙のため病気の発見が遅れ、短期で悪化して病没した。 歿後刊行の東京繁昌記日本芸術院恩賜賞を受賞した。