その33 里見勝蔵
里見勝蔵(1895年ー1981年)は京都市の四条高倉に生まれる。 明治から大正、昭和にまたがる洋画家です。 1913年(大正2年)関西美術院で鹿子木孟郎に学び、翌年東京美術学校に入学。 1917年在学中に第4回に科展と第4回院展に初入選する。 1921年卒業後渡仏してヴェラマンクに師事する。 1925年(大正14年)帰国。第12回二科展に渡欧作品を発表し、樗牛賞を受賞。 1926年前田寛治、佐伯祐三らと1930年協会を結成。 1929年1930年協会を離れ二科会会員となるが翌年退会。独立美術協会創立に参加。 以後、独立展に出品。1937年同協会を退会。無所属となる。 1954年(昭和29年)国画会に迎えられて会員になる。 1958年(昭和33年)再び渡欧、ヴェラマンクに再会した。 ヴェラマンク譲りの奔放な筆致、明暗の強い対比を見せる表現で、日本的フォーヴの運動を手動した。 里見はヴェラマンクの様式模倣によって自己の芸術の確立を目指そうとしていた。 従って、滞欧から帰国直後の作品にはヴェラマンクの作風が混在していた。 その後はヴェラマンクの作風の影響を脱して、フォーブの純良な作風に近づくとともに、キュビズム 風のプリミティヴな形態志向や、デユフィにも似た洒脱な形態感覚を見せている。