14)日本の洋画黎明期の画家たち その8 床次正精

その8 床次正精

床次正精は1842年(天保13年)薩摩藩士児玉家の三男児玉宗次郎実富として生まれ、1860年 (万延元年)床次家の養子となり、床次家を継ぐ。 1897年(明治30年)没。 明治初期の日本の洋画黎明期の画家であるが、作品は20点ほどしか現存していない。 床次は剣を新陰流に学び、薩摩藩内では剣名は高かったと言われている。 また7歳で日本画狩野派の能勢一清の弟子になり、日本画を学び始めている。 床次は洋画家として知られるが、日本画も職業にできるほどの腕前だった、と言われている。 幕末、島津久光の命で長崎に赴き、イギリス軍艦の視察をする。 このとき乗ったイギリス軍艦で見た油絵の写実性に床次は驚き、以降独学で洋画を学ぶ。

明治維新後明治5年には司法省に入り検事補。 明治10年宮城県上等裁判所検事 明治11年東京地方裁判所検事 を歴任、明治12年(1879年)グラント将軍(前アメリカ大統領)像を描いたことが新聞に載り 画家として知られる。 明治13年(1880年)裁判所を辞めて画業に専念する。 代表作は松島の絵2点、1点は宮中に献上。日光名勝図、西郷南洲像、帝国憲法発布の式場祝宴図 などがある。 特に西郷隆盛肖像画が有名であるがその前に西郷の肖像画ではエドアルドキヨッソーネ作のものがあるが キヨッソーネは西郷に会ったことはなく、親族の顔を参考にして描いたものである。 床次は西郷隆盛と面識があり、西郷の死後(明治20年)、記憶を頼りに何枚も絵を描き、西郷に近い 人達の意見を聞き修正して西郷隆盛像を完成させた。こちらの方がより本物に近いと言われている。