14)日本の洋画黎明期の画家たち その40 山下新太郎

その40 山下新太郎

山下新太郎(1881年ー1966年)は洋画家で日本芸術院会員です。 幼少時から絵画に親しみ、1901年(明治34年)、画家を志して藤島武二に師事し、同年東京美術学校に 入学。同期に青木繁、熊谷守一、和田三造らがいる。 東京美術学校で油彩画を学んだ新太郎は5年間パリに留学しました。 その間ベラスケスや印象派の画法や色彩に注目し、特にルノワールに深く影響を受けました。 留学時に体得した表現はフランスでも評価され「読書」などにより続けてサロンに入選します。 画家にとって大切なのは手ではない、それは眼だ、眼が画を作るのだ。ルノワールの助言を山下は生涯、 大切にします。みずみずしい色彩と明るい光線が織り成す光と影によって、家族の肖像や気に入った風景 を自然光の下で描き続けました。 1910年(明治43年)帰国。1914年(大正3年)有島生馬、石井柏亭らと二科会結成。1935年(昭和6年)脱退。 1936年(昭和11年)一水会を創立。翌年帝国芸術院会員。 また、絵画制作だけでなく、表具師の家に生まれた山下は留学中に油彩画の修復や額縁にも関心を持ちます。 科学的な知識や修復技術も身に付け、帰国後はわが国油彩画修復の先駆者となりました。 研究成果をまとめた絵の科学はこの分野の古典的な名著とされています。 額縁収集も手がけた彼は、吟味した額に自作品を入れました。今も自分で選んだ額でそのまま飾られている 作品が少なくありません。