14)日本の洋画黎明期の画家たち その39 和田英作

その39 和田英作

和田英作(1874年ー1959年)は鹿児島県垂水市に生まれた。黒田清輝、藤島武二とは同郷であった。 父親が海軍兵学校英語教師となったことで上京、明治学院に学ぶ。島崎藤村とも同窓であった。 1891年(明治24年)明治学院を中退して曾山幸彦、原田直次郎に本格的に洋画を学ぶ。 1894年黒田清輝らの指導する天真道場に入る。それまでの明治美術会系の暗い画面を捨てて、黒田清輝 に見られる明るい色彩の効果を貪欲に追求するようになる。 1896年(明治29年)白馬会結成に加わる。同年開設された東京美術学校西洋画科の助教授に招聘 される。 1897年ウイーン出身のコレクター、アドルフフィッシャーに日本国内の美術品収集の手助けをし、収集した 美術品の整理目録化も行う。この収集した600余点がウイーン分離派の第6回展(日本美術展)で公開された。 1900年(明治33年)文部省留学生に選ばれ、パリに行き、ラファエルコランに師事している。 日本からやってきた浅井忠と合流して共同生活を始める。 1902年に思郷でルサロンに入選。五姓田義松、藤雅三、黒田清輝に次ぐ快挙となった。 1903年(明治36年)に帰国。滞欧中にウジェーヌグラッセについて学んだデザイナーとしての才能も アールヌーボーのスタイルとして発揮した。 1932年(昭和7年)文化勲章受賞。 1959年(昭和34年)静岡県清水市で死去。享年84歳。