14)日本の洋画黎明期の画家たち その47 木下義謙

その47 木下義謙

木下義謙(1898年(明治31年)-1996年(平成8年))は和歌山県出身の洋画家です。 一水会創立会員、女子美術大学名誉教授。 父友三郎は法制局参事官、明治大学校長、学長を歴任した。 義謙は大正4年(1915年)学習院中等科卒業後、東京高等工業学校機械科に入学、卒業。翌年から 同校助教授となった。油彩画は独学で始めた。 大正10年第8回二科展に初入選。同時に独学で油彩画を勉強していた兄孝則も初入選した。 その後は二科展に出品をつづけ、大正15年の第13回展では「N氏の肖像」など出品、二科賞受賞。 また、萬鉄五郎、小林徳三郎が中心となって結成された円鳥会に参加。 大正12年の第1回展から第4回展まで出品。大正15年に結成された1930年協会の会員となる。 昭和3年(1928年)から7年まで渡仏、パリで制作し、サロンドートンヌなどに出品。 帰朝した年の第19回二科展には滞欧作品36点が特別展示された。 昭和11年二科会会員を辞退。 同年、石井柏亭、安井曾太郎、兄の孝則とともに一水会を結成した。 戦後は一水会や日展に出品をつづける。 昭和22年からは女子美術専門学校の教授となり後進の指導にあたった。 昭和25年「太平街道」により芸能選奨文部大臣賞受賞。 またこの年より陶芸制作をはじめ、その後しばしば一水会展に油彩画とともに陶芸作品を出品するよう になった。同33年には硲伊之助とともに一水会に陶芸部を創設した。 昭和54年勲三等瑞宝章受賞。翌年 和歌山県文化功労賞受賞。