14)日本の洋画黎明期の画家たち その37 海老原喜之助

その37 海老原喜之助

海老原喜之助(1904年ー1970年)は鹿児島県出身の洋画家。大正末期から昭和にかけてフランスと日本 で活躍した。鮮やかな青の色彩を多用、馬をモチーフにした作品を数多く制作した。 鹿児島市の中学校卒業後、上京してアテネフランセでフランス語を学びながら、川端画学校で絵画を学ぶ。 1923年(大正12年)19歳で渡仏、パリで創作活動していた藤田嗣治に師事。パリから出品した作品が 第10回二科展に初入選、翌年にはサロンドートンヌに初入選する。 1927年(昭和2年)フランスの画商アンリピエールロシェと契約して、「窓(カンヌ)」「姉妹ねむる」 「サーカス」を制作。翌年にはニューヨークで初の個展開催。 この頃からフランドル絵画に影響されて青を基調とした雪景の連作を描き始める。 1934年(昭和9年)帰国して日本で初個展。翌年独立美術協会会員に迎えられる。 1940年(昭和15年)日本大学専門部芸術科美術科講師となる。 1943年日大講師を辞して熊本県水俣市に疎開、その後人吉市に移る。 1950年(昭和25年)第1回南日本文化賞を受賞。後に熊本市に移転、海老原美術研究所を創立。 九州を本拠に創作活動を続け、1966年(昭和41年)から断続的に渡仏。 1968年(昭和43年)に藤田が死去した時には彼の葬式を取り仕切った。 その後はヨーロッパで創作活動を継続したが帰国を目前とした1970年、癌のためパリで死去。享年66歳。