14)日本の洋画黎明期の画家たち その22 萬鉄五郎

その22 萬鉄五郎

萬鉄五郎(1885年ー1927年)は現在の岩手県和賀郡東和町で生まれた。 幼少期には日本画を学びましたが、ついで水彩画に興味を持つようになります。 1903年(明治36年)中学入学のため上京、在学中に白馬会洋画研究所で学びました。 中学時代より萬は禅宗の寺で参禅するようになり、卒業後の1906年、布教活動のための禅宗の一団 に加わって、半年間アメリカに渡ります。 帰国後は東京美術学校西洋画科に入学、在学中からアブサント会を結成するなど意欲的な活動を行います。 1912年(明治45年)萬は美術学校の卒業制作として「裸体美人」を完成させます。 この裸体美人は鮮やかな色彩で平面的に描かれ、日本のフォーヴィズムの先駆的な作品といわれています。 この美術学校卒業の年、萬は斉藤与里、岸田劉生らとともにフュウザン会を結成。 この会は後期印象派やフォーヴィズムに興味を持った若い画家たちの集団でした。 1914年(大正3年)、このころからキュビズムに通じる、面によって構成された作品を描くように なりました。 萬は生涯を通じて多くの自画像を制作しました。代表作の1つ「雲のある自画像」はフュウザン会時代に 描かれた作品です。左右の赤と緑の雲が思索的な暗示を与えているかのようです。