14)日本の洋画黎明期の画家たち その27 梅原龍三郎

その27 梅原龍三郎

梅原龍三郎(1888年ー1986年)は京都市下京区の染物問屋に生まれる。 1914年(大正3年)までは名を良三郎と言った。 日本の洋画家で、画風は華やかな色と豪快なタッチが特徴とされ、自由奔放と評されていた、 第2次世界大戦前から昭和の末期まで長年にわたって日本洋画界の重鎮として君臨した。 京都府立第2中学校を中退して、聖護院洋画研究所(関西美術院)に入る。主催していた浅井忠に師事。 1908年(明治41年)渡仏。ルノアールに薫陶を受ける。パリに滞在してアカデミージュリアンに 通った。 1913年(大正2年)に帰国。白樺社主催の個展 梅原良三郎油絵展覧会を開催。 翌年、文展に不満のある進歩的な洋画家たちが作った団体二科会創立に加わり、1922年には春陽会設立 にも参加している。 1925年土田麦僊の招きで国画創立協会に合流し、1928年(昭和3年)第二部国画会を起こし、 その中心となって後進の指導にあたった。 1935年 帝国美術院会員 1937年 帝国芸術院会員(日本芸術院)1957年辞任 1944年 東京美術学校教授 1952年 ベネチアビエンナーレ国際審査員、文化勲章受賞 風景画が主体で、華やかな色彩の中に東洋絵画の特色を生かした重厚な作風で知られ、独自の画風を確立 した。