14)日本の洋画黎明期の画家たち その50 荻須高徳

その50 荻須高徳

荻須高徳(1901年ー1986年)は大正、昭和期の洋画家で愛知県稲沢市生まれです。 東京美術学校では小磯良平と同期生。新制作協会会員。 1927年東京美術学校を卒業後、渡欧。 美術学校の先輩であった佐伯祐三に導かれてパリの街角で絵を描き始める。 以来、生涯、主にパリという都市にモチーフを求め続けることになる。 だが同じようにパリを描いたヴェラマンク、ユトリロや佐伯と異なり、荻須は情感、文学的香り、詩情 を前面に押し出す事を離れて、パリを探索し、そこでその都度発見した街並みや建造物のつくる構成、 形、色、マチエールを、おもしろさを、自らの視覚でとらえて再構築し、それらを重厚、堅牢で時と してモニュメンタルな画風へ高めるという造形主義の姿勢をとった。 この点では、荻須は、レンプラント、セザンヌ、などのヨーロッパの画家たちの築き上げてきた技法と その背後にある、精神の伝統のひとつを消化しえた、数少ない日本人画家のひとりであった。 荻須は、日本人的情感、を盛り込むことなく、西洋絵画の伝統を土台とし、ヨーロッパの事物のみを 扱いながら造り上げた自らの造形世界を日本人のみならず、ヨーロッパ人に向けて提示し続けた。 この作家は明治以来の滞欧作家たちの中で、短期間の滞在後、日本で作品を発表した、いわゆる 留学型作家に対して、海外に活動の拠点を置いた、定住型作家と呼ばれた人々の中でも特異であり、 日本人作家の国際化の先駆けのひとつである。