14)日本の洋画黎明期の画家たち その34 野田英夫

その34 野田英夫

野田英夫(1908年ー1939年)、洋画家。 1908年(明治41年)アメリカカリフォルニア州サンタクララで、熊本県出身でアメリカへ移民した 野田英太郎の次男として生まれる。 旧制熊本県立熊本中学校卒業後の渡米、ニューヨークに出て、ウッドストック芸術村に住んで、 アーススチューデンツリーグ教授アーノルドブランチの支援を受け、壁画、テンペラ画を研究した。 1933年(昭和8年)ニューヨークでディエゴリベラの壁画制作の助手を努めたが、翌年には日本に帰国、 二科会に出品した。 リベラは野田の才能を認め、1934年ニューヨークのロックフェラーセンターで3枚の壁画を制作した 際にも野田を助手にしています。野田はリベラの描画技法と芸術思想に大きな影響を受けたようです。 そしてこの年の暮れに一時帰国し、二科展や個展で作品を発表する傍ら、西銀座7丁目のバーコットンクラブ の壁画制作の注文を受け、制作しています。この壁画は戦災で消失しています。 野田英夫は、わずか30歳で亡くなりました。そのため、現在油絵は30数点しか所在が確認されていません。 しかし、そのどれもが密度の高い充実した作品となっています。 混ざり合い深みのある色彩、独特の線、夢の中にいるかのような画面構成。才能豊かなこの画家が、もし 長生きしていたらどんな展開があったのでしょうか。