14)日本の洋画黎明期の画家たち その36 三岸好太郎

その36 三岸好太郎

三岸好太郎(1903年ー1934年)は北海道札幌市出身の洋画家です。戦前のモダニズムを代表する 画家の一人。画家の三岸節子(旧姓吉田)は妻。作家の子母沢寛は異父兄。 1921年札幌第一中学校を卒業後、画家を志して上京。 1923年第1回春陽展に入選。翌年第2回春陽展に「兄及び彼の長女」を出品、春陽会賞を受賞。 同年、画家の吉田節子と結婚。 アンリルソー風の素朴な画風から出発した三岸は、岸田劉生の東洋趣味への傾注を経て、中国旅行(1926年) の体験を元にしたエキゾティックでロマンティズム溢れる画風に転じた。 1930年福沢一郎らと独立美術協会の結成に参加。面の男など道化をモチーフにした作品を多く発表。 この頃からジョルジョルオー風のフォーヴィズムの影響が顕著になる。 1932年に開催された巴里東京新興美術同盟展に衝撃を受け、その画風は前衛主義に急速に接近していく。 抽象形態を構成したコンポジションや線条様式のオーケストラなどを試作し、その後シュルレアリズムに 移行、1934年に「蝶と貝殻」シリーズを発表。中でも「海と射光」は晩年の代表作である。 同年7月旅行先の名古屋で胃潰瘍で吐血、31歳の短い生涯を終えた。