14)日本の洋画黎明期の画家たち その4 川原慶賀

その4 川原慶賀

天明6年(1786年)長崎の今下町に生まれる。万延元年(1860年)没。 江戸時代後期の長崎の西洋風画家である。 出島出入り絵師として、風俗画、風景画、肖像画、生物の精細な写生図なども描いた。 父親(川原香山)も町絵師であった。 当時の長崎で絵師の第一人者として活躍していた石崎融思に師事し、頭角を現す。 出島オランダ商館への出入りを許されて長崎の風俗画や風景画、出島の商館員達の生活も描いた。 文政6年(1823年)にシーボルトが商館付き医師として来日し、日本の動植物などを蒐集 し始めた。慶賀はこのシーボルトの求めに応じて、日本という本の挿絵のために精細な動植物の 写生図を描いた。 又、文政9年(1826年)のオランダ商館長の江戸参府にシーボルトに同行して、道中の 風景画、風俗画、人物画なども描いた。 慶賀は伝統的な日本画法に西洋画法を取り入れていた。また精細な動植物については、シーボルト の指導もあった。 日本に現存する作品は約100点、オランダに送られてヨーロッパ各地に分散した慶賀の作品は 6000-7000点とも言われている。 慶賀の描いた動植物図のほとんどはオランダに送られ、シーボルトの著作である日本動物誌等の 図として使用された。 慶賀の作品は長崎歴史博物館、福岡市博物館などに所蔵されている。