14)日本の洋画黎明期の画家たち その38 金山平三

その38 金山平三

金山平三(1883年ー1964年)は大正、昭和の洋画家。 兵庫県神戸市生まれ。黒田清輝らに師事し、東京美術学校西洋画科を首席で卒業。助手として大学に残る。 28歳から31歳までパリを拠点にヨーロッパ各地へ写生旅行に行く。 この頃のパリには満谷国四郎、藤田嗣治、安井曾太郎、梅原龍三郎、小島虎次郎、足立源一郎など多くの 画家が滞在していました。 帰国後、文展初出品で特選第二席、翌年(1917年)「氷すべり」で特選第一席など官設展で受賞を重ねる。 36歳で帝展審査員に選ばれる。 また同年、後の平三の妻となる牧田らくと出合います。 らくは当時、東北帝国大学に在籍しており、国内初の女性理学士となりました。 平三はヨーロッパ同様、日本国内各地へ出かけ、日本の風景を卓越した技法で描きました。 山梨県勝沼、栃木県塩原、箱根、御殿場などを訪問しています。 1923年、はじめて山形県大石田を訪れ、47年から大石田が生活の中心となりました。 当地を描いた「雪景色」は日本人が見た日本の風景」として高く評価されました。 優れた色彩表現と安定した画面構成によって、日本の風景を描きました。 また画材を厳選するなど、生涯を通じて油彩画のマチエールを探求しました。 平三は1964年に帰らぬ人となりましたが、遺志によって叙位、叙勲も全て辞退。最後まで絵を描くこと だけに人生を捧げた孤高の画家といえるでしょう。